アケボノツツジを訪ねて 西赤石山(1,625.7m)
2007年5月12日(土) 増長天さん夫妻+チャコ&門久
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〈西赤石山の稜線を飾るアケボノツツジ〉 |
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全山これ朱色!
今年もこんな光景を期待して
アケボノツツジ咲く西赤石山を訪ねた。
4月だったか、
増長天さんから「アケボノツツジを見に連れてって〜!!」
とのリクエストがあった。
ここは昨年のような失敗は許されまいと、
今回は花期の情報収集も行ない万全を期しての山行であったのだが・・・・
昨年の西赤石山山行 ←こちらをクリックして下さい
《山行記録》
日浦登山口6:27・・・・6:47劇場・小学校跡・・・・7:08ダイヤモンド水7:12・・・・7:20「寛政谷木方」道分岐・・・・7:37「目出度町鉱山街入口」合流点・・・・7:40歓喜坑7:44・・・・7:58銅山越8:03・・・・8:28東山8:35・・・・10:25西赤石山10:35・・・・11:04兜岩(昼食)11:38・・・・12:00西赤石山12:04・・・・13:20銅山越13:28・・・・13:38牛車道合流・・・・13:39歓喜坑入口・・・・13:44「目出度町鉱山街入口」分岐・・・・13:53大山積神社・・・・14:10「寛政谷木方」道合流点・・・・14:17ダイヤモンド水14:23・・・・14:58日浦登山口 〔総所要時間:8時間31分、昼食・休憩等:1時間22分、正味所要時間:7時間09分〕 |
6:27 日浦登山口(旧別子銅山跡入口)
増長天さんが自動車を出してくれ、広島から3時間余の走行で早朝の日浦登山口に着いた。既に多くの車が来ており、我々の車を駐車場に停めると満車となった。その後も続々と自動車が到着したが、もう近くの路側帯に停めるしかない状態であった。駐車場にはトイレが設置されている。
身支度を整えて登山開始。登山道は旧別子銅山の遺跡を辿る道でもある。足谷川の渓流沿いに、円通寺跡、小足谷集落と醸造所跡、小足谷接待館跡、小学校・測候所跡、劇場跡、高橋精錬所と沈澱工場跡などの銅山遺跡が続く。
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〈銅山遺跡が続く〉 |
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〈日浦登山口:この階段からスタート〉 |
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7:08〜7:12 ダイヤモンド水
登山口から約40分でダイヤモンド水という水が噴出する広場に着いた。ダイヤモンドを散りばめた掘削機の先端部が水脈に当たって壊れたままで水が湧出していることから、そう呼ばれているという。広場には東屋もあり、登山者や散策者の絶好の休憩場所だ。
ダイヤモンド水のある広場を出て10分足らず行くと、渓流の右岸から左岸に渡る鉄錆びた橋がある。橋を渡れば寛政谷木方を経由して銅山越に向かう。まっすぐ行けば大山積神社跡を経由して銅山越へ行ける。我々は前者を選んだ。沿道には木方吹所、焼鉱窯場などの鉱山遺跡があった。
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〈ダイヤモンド水〉 |
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〈この橋を渡り寛政谷・木方方面へ〉 |
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7:37 「目出度町鉱山街入口」合流点
かつてこの山中に目出度町という料亭や商店、小学校、郵便局などが建ち並ぶ下町的な商店街があったという。森に飲み込まれた今日では信じがたいことだ。その商店街の上の入口であった辺りで現在は大山積神社跡経由で登ってきた登山道と木方寛政谷経由できた登山道が合流する。合流した道は斜度を上げながら銅山越に向かって登って行く。途中に元禄時代に最初に開かれた坑道である歓喜坑が口を開けている。
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〈目出度町鉱山街入口の分岐〉 |
〈別子銅山第1号坑であった歓喜坑〉 |
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7:58〜8:03 銅山越
歓喜坑からジグザグの急峻な登山道を登って行くと15分間足らずで稜線上に出る。銅山越と呼ばれる峠だ。大正5年に銅山の中心がこの峠の北側の東平(とうなる)に移るまでは、元禄時代からの225年間この峠の南側で銅の採掘、精錬が行われていた。銅山越は新旧の銅山を分かつところでもある。
この峠に辿り着く直前で、すれ違った登山者から思わぬ情報がもたらされた。「今年のアケボノツツジは花芽の付きが悪く一本も咲いていない」というものであった。この登山者は、早々に下山にかかっているところであった。銅山越に上って西赤石山や反対側の西山を眺望してみて、この登山者の言が真実味を帯びたものであることが分かった。本来朱色に染まっている筈の稜線上のどこにも朱色の部分がないのだ。我々も力を失う程にがっかりしてしまった。
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〈銅山越の地蔵尊〉 |
〈銅山越から西赤石山方面を望む:朱色の彩りは認められず〉 |
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〈西山方面にもアケボノツツジの影さえもない〉 |
〈鶯が愛嬌良く鳴く〉 |
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8:23〜8:35 東山
大きな落胆に足取りは重かったが、登山目的を西赤石山のピークハントに切り替えて尾根道を登った。東山の裾で日本の南限のツガザクラの群生を見た。蕾を付けており、来月には満開になるのであろう。東山のピークに立ち寄り、四周の峰々を眺め同定をして遊んだ。
東山を発つと尾根筋の道はやや険しくなってくる。露出した岩場も数箇所ある。ミツバツツジは咲いているが、アケボノツツジの姿はひとつとして見えない。足取りは相変わらず重かった。
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〈東山から大座礼山(1,587.5m)方面の眺望〉 |
〈平家平(1,692.6m)・冠山(1,732m)〉 |
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ところが、一人の登山者から異なった情報がもたらされた。「昨日登った人が頂上辺りでアケボノツツジが満開で、早く行かないと散ってしまうと言うので今日登って来た」というものだった。目の前に見えている光景からは信じ難い情報ではあったが、また反対に是非共そうあって欲しいとも思う情報であった。
午前9時ちょうどであった。行く手右側の潅木の中に二本の花開いたアケボノツツジを見付けた。それから20分間ほどはもうアケボノツツジを見ることはなかったが、緩急を繰り返す尾根道を登り続けるほどに、沿道に多くのアケボノツツジが見えるようになり、それまで落胆の色が濃いかった我々もニコニコするところになっていた。頂上に近付くと、その北面にかなり纏まった群生も見られるようになり、今度は心浮き立つ状態になった。
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〈この日最初に見たアケボノツツジ〉 |
〈青空の下、可憐にあるいは妖艶に咲く〉 |
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〈新緑の尾根に映える満開のアケボノツツジ〉 |
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〈西赤石山の北面が朱色に染まる〉 |
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〈尾根筋を飾るアケボノツツジ〉 |
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〈笹ヶ峰の右奥に瓶ヶ森、石鎚山が覗く〉 |
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〈銅山越、笹ヶ峰方面の眺望〉 |
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10:25〜10:35 西赤石山(1,625.7m)
落胆から心ウキウキ状態へと心中の変化をきたしながらの銅山越から西赤石山までの道であった。この間の標準時間は1時間20分であるが、我々は2時間20分近くの時間を掛けて登ったことになる。落胆による重い足取り、アケボノツツジを見出しての写真撮影などで思わぬ時間を費やしたようだ。アケボノツツジの花を見ることは叶うたものの、その質量ともに期待したところからは遠かった。西赤石山の三角点にタッチしてから、西赤石山北斜面のビューポイントである兜岩まで行ってみることにした。
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〈西赤石山の頂上部を望む〉 |
〈稜線上にもアケボノツツジが咲く〉 |
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〈西赤石山頂上の三角点〉 |
〈頂上から東赤石山方面を望む〉 |
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11:04〜11:38 兜岩
兜岩へは西赤石山々頂の西肩から垂直に近いと思える程の北面の急斜面を下って行く。下り始めるとドンドンと下って行って、兜岩の手前でやっと平らかになる。この急斜面を標準時間の10分で下ることは、我々には想像もつかない速さである。我々は30分近い時間を要した。
兜岩に着いて背後を降り返って驚いた。目の前に想像を遥かに越えるアケボノツツジの群生があった。全山これ朱色のアケボノツツジに近い光景であった。これで、我々はもう歓喜の中、有頂天になることとなった。この景色を見るためにここまでやって来たのだった。アケボノツツジに囲まれた岩の上で昼食を摂った。
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〈兜岩への登山道を覆うアケボノツツジ〉 |
〈心ときめくほどに妖艶で美しい花だ〉 |
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〈西赤石山の北面をアケボノツツジの朱色が覆う〉 |
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〈全山これ朱色のベール〉 |
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〈朱色とて、様々な色合いだ!〉 |
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12:00〜12:04 西赤石山
昼食を終えて兜岩から西赤石山に引き返した。往きと反対の急坂の登りで、この山行の中で最もきついアルバイトであった。西赤石山の山頂に戻って驚いた。ちょうど昼の時間であったが、狭い頂上広場、その東側の草つきの尾根筋に数多の登山者が弁当を開けていた。その数50人は下るまい。皆、満開のアケボノツツジの花を求めての人達であろう。
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〈大勢の登山者で賑わう西赤石山々頂〉 |
〈笹ヶ峰方面〉 |
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13:20〜13:28 銅山越
満足のゆくアケボノツツジを見たので、尾根道の下りは軽やかであった。尾根筋に咲くアケボノツツジ以外の花々の写真を撮りながら下り、銅山越で少し長めの休憩を取った。
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〈銅山越付近から朱色に染まる西赤石山の北面を望遠する〉 |
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13:44 「目出度町鉱山街入口」合流点
この合流点から下りは大山積神社跡経由の道を採った。この道は小足谷の右岸の上方に設置されている。少し遠回りなので、我々が登りに辿った寛政谷木方ルートの方がメインルートになっているようであった。
13:53 大山積神社跡
元禄時代から旧別子銅山の守護神として祀られていた神社であった。今は古のお百度参りの標石などの遺物が残っている。
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〈大山積神社跡〉 |
〈登山者が寛ぐダイヤモンド水湧く広場〉 |
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14:17〜14:23 ダイヤモンド水
気温も上がり、憔悴した身体には冷たく、柔らかいダイヤモンド水は格別であった。
14:58 日浦登山口
無事に全員下山。
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〈混みあう日浦登山口周辺〉 |
〈登山口に掲げられている旧別子銅山の案内図〉 |
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〔山行所感〕
アケボノツツジを求めての山行は2年連続のことであった。昨年は早過ぎて満足に見ることが出来なかった。しかし、今年は最初は花咲く樹が一本も見えない状態に落胆し、登るほどに花が見えて来て、最終地の兜岩では全山朱色に近い状態に大満足と、劇的な変化を伴う山行とあいなった。他の登山者の方々からの情報を総合すれば、我々が見た西赤石山北面の群生のほか、西山方面でも銅山越からはブラインドとなるツナクリ山方面にも見事に咲き誇っているようであった。朝の銅山越から西赤石山方面の眺望は、その北面が日陰となるために遠目には微妙な色彩変化となるアケボノツツジの存在に気付かなかった(気付けなかった)ようだ。
それでも、今年のアケボノツツジは不作であるようだ。花芽が少ないのは確かなようで、群生も本来ならもっと燃え立つような朱色なのであろう。暖冬、春先の冷え込み、少雪などの気象の変調が影響していることは間違いないであろう。ひいては、エルニーニョ現象、地球環境の温暖化などの影響だろう。すっきりとしたアケボノツツジの花を見ることが出来る環境が還ってくることを願わずにはおれない。
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西赤石山の花々
(2007年5月12日(土))
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ツガザクラ(栂桜) (ツツジ科ツガザクラ属) |
シコクハタザオ(四国旗竿) (アブラナ科ヤマハタザオ属) |
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ムシカリ(別名:オオカメノキ) (スイカズラ科ガマズミ属) |
ヒカゲツツジ(日陰躑躅) (ツツジ科ツツジ属) |
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コヨウラクツツジ(小瓔珞躑躅) (ツツジ科コヨウラクツツジ属) |
イシヅチザクラ(石鎚桜、四国豆桜) (バラ科サクラ属) |
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シロモジ(白文字) (クスノキ科クロモジ属) |
アケボノツツジ (ツツジ科ツツジ属) |
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ミヤマハコベ(深山繁縷) (ナデシコ科ハコベ属) |
オオタチツボスミレ (スミレ科スミレ属) |
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ナガバモミジイチゴ (バラ科キイチゴ属) |
ミヤマカタバミ (タカバミ科カタバミ属) |
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ツルギミツバツツジ(剣三葉躑躅) (ツツジ科ツツジ属) |
ウツギ(空木、卯の花) (ユキノシタ科ウツギ属) |
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